その仕事が、誰かの未来になる。
だからこそ、「建設品質。」に
こだわり常に挑戦し続ける。
代表取締役社長
平間 宏
私が佐藤工業に入社したのは1984年。大阪支店に配属となり、土木の現場で施工管理の仕事に携わってきました。人生の転機となったのが阪神・淡路大震災です。1995年ですから30年程前になりますが、私は山陽新幹線の高架橋復旧工事に、監理技術者として配属されました。現地では高架橋が倒壊しており、新設するとなると開通までに1年以上はかかるような状況でした。その現場では、ひび割れ屈曲した橋脚を補強・再構築し、落下した高架橋そのものを持ち上げて使用する、という前代未聞の方法を用いて工事を行うことになりました。混乱の中では必要な資機材が調達できません。人手も足りません。しかしそんな状況においても、「集めやすい資機材だけで強固な橋脚をつくるにはどうするか」「少人数でもできる方法はないか」と知恵を絞り、皆の力を結集し、昼夜一丸となって挑戦し続けた結果、わずか3ヵ月で工事をやり遂げることができました。「これぞ土木の底力だ!」と心が奮え、自分の中に自信がみなぎったことを覚えています。私は当時、30代半ば。このような混乱した状態の中でも、佐藤工業として品質管理を徹底し、悔いを残さない工事ができたこと、そして30年近く経った今でも山陽新幹線が無事に安全で走っていることを、誇りに感じています。私たち佐藤工業は富山が発祥の会社です。急流な河川に堤防を構築し、暴れる川を治めてきました。防災や災害復旧に尽力してきたことが当社の原点です。人々の暮らしを守る技術集団としての精神が脈々と受け継がれ、今なお私たちの中にも根付いているのだと思います。
レール締結記念写真(社長は下段左)
山陽新幹線の復旧完了状況(兵庫県伊丹市)
私の最後の現場となった、新神戸トンネルの延伸事業も印象深い工事となりました。神戸市内の交通渋滞緩和を図るために道路トンネルを延伸する事業で、阪急電車の下を通る一般道の、さらにその下にトンネルをつくるという難しい工事です。交通を止めることなく工事を進めなくてはなりませんし、地下を掘削することにより道路や線路に影響が出ることも許されません。そこで、当時の先進技術であったアンダーピニング工法※という当時の先進技術を採用。佐藤工業ならではの設計・施工の連携という強みを生かすことで、この難工事を完遂し、発注者様から高い評価をいただきました。改めて振り返ってみると、私たちには、新しいことに挑戦していくことで、さらなる高品質・高付加価値を実現してきた歴史があります。創業160年周年記念事業の一環として、茨城県つくば市に開設した「技術センターSOU」をつくる際にも、若手が成長できるような数々の挑戦を盛り込んだ建設を行いました。そしてこの技術センターSOUでは新しい技術の開発はもちろん、現場支援業務を通じた働き方改革や生産性の向上といった研究・開発も進めており、我々の新たな挑戦が始まっています。 ※既設構造物直下の掘削に伴う影響を抑制するため、既設構造物を新たな基礎で受け替える技術
若いころを振り返って思うのは、「現場の仕事はおもしろかった」ということ。仕事は決して楽ではありませんが、自分が計画した通りに工事が進んでいくことにやりがいを感じられますし、建物やトンネルが完成したときには大きな達成感を得られます。でも、それ以上に私が「おもしろかった」と感じるのは、毎日の仕事が同じことの繰り返しではない、ということです。現場が変わる、つくるものが変わる、仕事で接する人も変わる。それだけではなく時代の変化もそうです。昔の携帯電話は大きな箱のような形でしたが、それが小型になり、スマホになりました。施工現場でもICTが導入されDX化が進んでいます。目まぐるしく変化する環境を楽しめる人、自分で考えて行動できる人、探求心を持って物事を見つめ挑戦できる人にとって、こんなにおもしろい仕事はないと思いますし、当社はそのような人たちが活躍できる場所です。これからも佐藤工業は、一人ひとりが持つ力を育て、「建設品質。」を追求し続けます。そして、「佐藤工業に任せれば間違いない」と、社会から信頼され、選ばれる企業であり続けます。これからも、変化を楽しみ、成長にどん欲に、仲間を思い、この仕事に誇りを抱き、社会のために挑戦していきます。この気持ちに共感してくれるみなさんと、共に仕事ができる日を心待ちにしています。